2011年06月22日
青島酒造 青島孝さん
~酒造りの道へ~
ここまで自分の仕事に情熱を傾けて、かつ冷静に、
この上なく楽しみながらも真剣に向き合っている人はいないかもしれません。
藤枝市上青島にある青島酒造の専務・杜氏、青島孝さん。
・・青島酒造といえば「喜久醉」!!
もう、いわずと知れた銘酒ですが。
現在、杜氏をつとめる青島さんは、
実は27歳の当時は ニューヨーク勤務、
経済の中心ともいえるその時代の最先端の場所で投資顧問会社で
ファンドマネージャーの仕事をしていたそうです。
ファンドマネージャーの仕事が何たるかわかっていない自分ですが、
なんか響きだけで凄そうです!!笑
大きな仕事をしてみたいと思う若モノにとってはニューヨークは夢のステージ、
時代に先駆けて、青島さんは20代の若さで既にひとつの成功を手にしていたわけですね。
・・・・ そして、なぜいま、お酒を造っているか?
誰もが聞きたい質問。
多分もう青島さんにとっては何度も答えてきた質問だろうけど
それでもやはり聞きたいですよね。
今回は、青島専務にググッ!と、少し・・迫ってみたいと思います。
青島さんのお話では、
当時の仕事は、刺激的だったしとても面白かった。とのこと。
世界の動きがわかるし、大きなお金を動かす責任ある仕事でもある。
だけど、徐々に、
自分のなかで本当に求めていた充実感や喜びというものが少ないことに気が付いたといいます。
「この仕事は自分じゃなくても出来る仕事だな、と
自分の感覚を使うこともないし。机の上でパソコンと向かい合っている仕事。
どこかで大きなお金が生まれれば(儲ければ)、どこかで損している奴がいる。
そういった世界。
自分の本当に求めているものとは何か違うなという感覚があった。」
自分にしかできない、自分の感覚を最大限に活かした仕事・・・
その視点は「日本の伝統的なものづくりの世界」に結ばれていったそうです。
そして、なんとNYの仕事を辞め(!)た後、
青島さんが実家の酒造りに入ったのが31歳の時。1996年。
その後すぐに、静岡酵母の開発者である“河村傳兵衛(かわむ
らでんべい)”さんに弟子入りをしたそうです。
河村傳兵衛 さんといえば、
静岡県の吟醸酒が全国から高評価を受けるきっかけとなった静岡酵母を開発した人物。
1970年代後半~80年代前半に県独自の清酒酵母開発に取組み、静岡酵母を開発しました。
そして、その静岡酵母を使った静岡県産の日本酒は
1980年代~90年代に全国の品評会や鑑評会で「吟醸王国」の名を全国に響かせたという・・
静岡の日本酒界・吟醸酒に大きな功績を残した人物です。
現在も、活躍を続けている河村傳兵衛さんの直弟子は静岡県内に3名、
国香酒造の松尾晃一さん
満寿一酒造の増井浩二さん
そして、青島酒造の青島孝さん
青島さんは、傳兵衛さんの元で酒造りを学び、修行を経た末、「傳三郎」という杜氏名を授かり、
そして、今年(2011年)で、酒造り15年目を迎えています。
青島さんは言います。
「あと、何回酒造りができるか。
味覚の確かさや、酒造りへの身体的なことを考慮すると、
自分がベストな状態で酒造りができるのはあと25回。
25回のチャンスがある・・ 25回“しか”、できない。」
こんな風に「限りあるチャンス」として仕事を捉えること。
毎回の仕事への心構えも礼儀正しく、確かな手ごたえでひとつひとつ作っていくこと。
そんな姿勢が、こちらに びしびしっ と伝わってくるようです。
そしてもうひとつ、青島酒造では、酒の流通においても無駄をなるべくはぶき
大量入荷の依頼や、量産しても売れる見込みのある時にも規模を拡大しない方針をとっています。
変化が早い時代の中で、
「維持することにも 勇気 と 覚悟 が必要」
という言葉が、またもや ずしーーん と心に残ります。
一回一回の勝負を、何百年という長い年月を見据えながら取り組むなんて、、
私にとっては気が遠~のいてしまいそうです。
でもこういった感じ方って、
自然環境への取組みや、いろんなことに通じる大切な考え方ですよねっ。
何百年と連綿と続く酒造りの伝統にとってみれば、
1人の人間の人生が関わるのはその一部だけ、
でも、その酒造りに関わる人の「繋がり」の中にこそ、
伝統が息づくということを感じさせます。
一回一回の酒造りが、その「繋がり」をつないでいるんですね。
~手で洗う シンプル&ダイレクト~
さて、日本酒の6~7割は水だから、良質の水は酒造の生命線。
青島酒造の水は大井川水系南アルプス伏流水を使用していて、
酒造りにおいては発酵が穏やかに起こり、酸味が出るという特徴があるそうです。
この良質の水をふんだんに使って酒造りが行われるんですが・・
冬から始まる酒造期間中、毎日!このお水を使って「お米を洗う」工程が行われるそうです。
「洗米」と言い、字のごとく、表面の糠(ぬか)などが洗い流される工程ですが、
この肯定が実はとっっっても大切!!で、河村傳兵衛さんは一貫して
「酒造りは洗いに始まり、洗いに終わる」
と主張していたそうです。
あらゆる工程の中でも洗米は、過酷な作業だといわれているそうですが、
最近では技術が進化し、米を傷めない洗米機が使われることもあるとか。
しかし、青島酒造では、寒~い!!この季節に手でお米を洗います。
しかも「素手」で!!
せめて手袋でもしないと大変なことになるのではと思うのですが・・
機械での洗米だとお米が傷ついたり割れたりしてしまうし、
お米も毎年出来栄えが違うので、今年のお米の状態を指ざわりや感触で確認しているそうです。
それがその後の工程にも関わってくるので、とても大切と。。
そのおかげで、青島さんの手はあかぎれ!でいっぱいになります。
3カ月毎日やるなんて、手が麻痺してしまいそうだけど、、
その手でお米の感触をしっっっかり確かめているんですね。
~麹室(こうじむろ)という空間~
次は、麹作り。
ここで酒造りの工程をご紹介しておきましょう! ↓
(藤枝市広報 平成13年1月5日号参考)
なるほど、大体の流れがわかりましたでしょうか。
(切り貼りですみませんが。)
「麹作り」は、洗米→浸漬→蒸米 の次の段階です。
それは、醪(もろみ)を作る工程の第一歩でもあり、
麹菌を使って2~3日で蒸し米を麹に仕上げます。
この作業を行う「麹室」は大切な場所で、
酒造りの期間中は、1時間単位に作業を区切って1日に6~7回は麹室に入るといいます。
・・ということは・・・
1日8時間だとして、3カ月(90日)で 8×90=720時間。
それを15年続けたとすると、既に10,800時間=約450日分の時間を麹室で過ごしていることになるんですね!
うーん、ここでどれだけの人が緊張感のある作業をしてきたのだろう・・・
分厚い樹の板の扉、
その先の空間は、
微妙な温度と湿度の調整、細心の注意で管理されている空間。
白い布と白いお米の清浄感、、
空気から伝わってくる緊張の糸がそこに張り巡らされているような気がしました。
~発酵~
そして、お次は発酵!!
・・・これが、スゴイです。
発酵の様子を見て、こんーーーーなに感動すると思わなかったです。
うまく説明できないですけども
おおーきなタンクに入った、「白い生物」を見ているような・・・
目に見えない微生物の声を聞いているような・・・
不思議な感じです。
「神秘的」です。
微生物ってすごいなーーと実感しました。
発酵し始めのところは、気泡も大きく、活発です。
ぶくぶくっ ぼふっ ぷくーーっ ぼふっ
と元気に動いています。
そして、発酵が進んでいるところに移るにつれ、
落ち着いてきて、決め細やか。
成熟した大人の感じで、
ひそひそ ぷちっ ぷくぷくぷく ふわふわ
「バナナのような香りがしませんか?」
あっ、本当です、確かにこれは甘~~いバナナの香り。
美味しそうです。フルーティです。
その動きと香りに吸い込まれて、タンクの中にふいーっと落ちてしまいそうでした。
うーんなんとも面白い体験をさせてもらいました!!
青島酒造では、通常、酒造見学は行っていませんが、
見学できる酒造では、ぜひこの発酵の神秘を感じていただきたいですね。
この後も酒造で使う道具など、マニアックな質問にも青島専務、丁寧に教えてくれました!
本当にありがとうございます!
~循環~
今では農業でも、ものづくりの世界でも、「直売」というものが重視されていますが、
青島酒造は店舗販売などの直売を行っていません。
無駄を省き、酒造りに専念するために、直接販売は行わないという方針。
そうすることで取り扱い先に喜久酔の販売を任せることができ、そこに「信用」のある取引ができます。
飲食店に直接卸すこともしないのは、取扱店を大切にしたいという思いから。
関わることで酒造りに専念できるし、それによって関わる人との信頼関係を築くことができる。
関わる人がwin-winの関係を築くことが大切。というワケです。
量産ではなく、品質によってその存在感を示す。
それは、本当に造り出すものの品質に自信をもって、世に送り出しているからこそ!
できるのかもしれないですね。
~酒造りをとりまく人々~
五感をフルに使って行う仕事のために、五感センサーを鍛える、何か特別なことをしているのでしょうか?
という質問をしてみたところ、、
食事は結構、玄米菜食気味ではあるそうですが
一年の半分を酒造り、半分を農業をすれば十分に自分の感覚がシャープでいられると答えていただきました。
そうです、ご存知の方も多いと思いますが、
青島酒造さんでは「酒造りは米作りから」という信念のもとに地元の稲作農家と共に、
稲作に取り組んでいます。
青島さんが一緒に米作りを行っているのが、
地元で酒造の好適米である山田錦を栽培している稲作農家の松下明弘さん。
松下さんといえば、新品種「カミアカリ」を発見し、農林水産省への登録を果たした稲作農家さん。
本来の生命力を発揮した有機農業のお米づくりを実践する一方、
実験的にさまざまな品種のお米づくりにも取組んでいます。
取材でお会いした際には、稲を見つめる眼差しや、嘘のない言葉がとても印象的でした。
青島さん曰く、
「酒というのは限りなく農業に近くにあること。
近くにありたいし、そして、決して農業というものから離れていたくない。」
青島さん自身も田んぼで稲の育つ様子や、毎年の出来具合を確認しながら共に山田錦を育て、
一方で、松下さんも青島酒造の酒造りに参加しているそうです。
~和~
さまざまな人が関わる酒造りをとりまく環境、
その中でもとりわけ大切なのは酒造りを行うメンバー間の関係。
実は、青島酒造の蔵人のメンバーの出身地はさまざまで、
喜久酔のお酒を飲んで門をたたく覚悟をした人もいるというほど。
出荷されたお酒が、人を引き寄せたんですね。
「和醸良酒」 わじょうりょうしゅ
という言葉は酒造りの現場ではよく言われる言葉だそうですが、
私ははじめて耳にしました。
これは酒造りに関わる蔵人達にとって、“モットー”ともなる言葉でもあるそうです。
人の和・調和。
「つくられるもの」は「つくっている人」の心で決まる。
そしてそれは説明できるものではなく、自分自身の感覚で「感じるもの」
なるほど、納得。真理をついた言葉ですね。。
青島さんの酒造りのお話しは、
酒造りに直面しているからこその「厳しさ」と
自分の感覚やフルに活用することの「喜び」と
そしてそれに関わることでできる「信頼関係」
その喜びをジワジワと感じるものでした。
「この仕事は自分じゃなくても出来る仕事だ」
と、経済の中心ともいえるNYの勤務、時代の最先端からダウンシフトして15年。
今は感性にを頼りに、もっと精密な機能をもつ自然の変化とともに、ひたすらに酒造りに取り組む。
青島さんは 確実に今も「最先端」を生きていると実感しました。
本当に忙しい最中、取材対応くださった青島専務、青島酒造のみなさま、ありがとうございました!
ここまで自分の仕事に情熱を傾けて、かつ冷静に、
この上なく楽しみながらも真剣に向き合っている人はいないかもしれません。
藤枝市上青島にある青島酒造の専務・杜氏、青島孝さん。
・・青島酒造といえば「喜久醉」!!
もう、いわずと知れた銘酒ですが。
現在、杜氏をつとめる青島さんは、
実は27歳の当時は ニューヨーク勤務、
経済の中心ともいえるその時代の最先端の場所で投資顧問会社で
ファンドマネージャーの仕事をしていたそうです。
ファンドマネージャーの仕事が何たるかわかっていない自分ですが、
なんか響きだけで凄そうです!!笑
大きな仕事をしてみたいと思う若モノにとってはニューヨークは夢のステージ、
時代に先駆けて、青島さんは20代の若さで既にひとつの成功を手にしていたわけですね。
・・・・ そして、なぜいま、お酒を造っているか?
誰もが聞きたい質問。
多分もう青島さんにとっては何度も答えてきた質問だろうけど
それでもやはり聞きたいですよね。
今回は、青島専務にググッ!と、少し・・迫ってみたいと思います。
青島さんのお話では、
当時の仕事は、刺激的だったしとても面白かった。とのこと。
世界の動きがわかるし、大きなお金を動かす責任ある仕事でもある。
だけど、徐々に、
自分のなかで本当に求めていた充実感や喜びというものが少ないことに気が付いたといいます。
「この仕事は自分じゃなくても出来る仕事だな、と
自分の感覚を使うこともないし。机の上でパソコンと向かい合っている仕事。
どこかで大きなお金が生まれれば(儲ければ)、どこかで損している奴がいる。
そういった世界。
自分の本当に求めているものとは何か違うなという感覚があった。」
自分にしかできない、自分の感覚を最大限に活かした仕事・・・
その視点は「日本の伝統的なものづくりの世界」に結ばれていったそうです。
そして、なんとNYの仕事を辞め(!)た後、
青島さんが実家の酒造りに入ったのが31歳の時。1996年。
その後すぐに、静岡酵母の開発者である“河村傳兵衛(かわむ
らでんべい)”さんに弟子入りをしたそうです。
河村傳兵衛 さんといえば、
静岡県の吟醸酒が全国から高評価を受けるきっかけとなった静岡酵母を開発した人物。
1970年代後半~80年代前半に県独自の清酒酵母開発に取組み、静岡酵母を開発しました。
そして、その静岡酵母を使った静岡県産の日本酒は
1980年代~90年代に全国の品評会や鑑評会で「吟醸王国」の名を全国に響かせたという・・
静岡の日本酒界・吟醸酒に大きな功績を残した人物です。
現在も、活躍を続けている河村傳兵衛さんの直弟子は静岡県内に3名、
国香酒造の松尾晃一さん
満寿一酒造の増井浩二さん
そして、青島酒造の青島孝さん
青島さんは、傳兵衛さんの元で酒造りを学び、修行を経た末、「傳三郎」という杜氏名を授かり、
そして、今年(2011年)で、酒造り15年目を迎えています。
青島さんは言います。
「あと、何回酒造りができるか。
味覚の確かさや、酒造りへの身体的なことを考慮すると、
自分がベストな状態で酒造りができるのはあと25回。
25回のチャンスがある・・ 25回“しか”、できない。」
こんな風に「限りあるチャンス」として仕事を捉えること。
毎回の仕事への心構えも礼儀正しく、確かな手ごたえでひとつひとつ作っていくこと。
そんな姿勢が、こちらに びしびしっ と伝わってくるようです。
そしてもうひとつ、青島酒造では、酒の流通においても無駄をなるべくはぶき
大量入荷の依頼や、量産しても売れる見込みのある時にも規模を拡大しない方針をとっています。
変化が早い時代の中で、
「維持することにも 勇気 と 覚悟 が必要」
という言葉が、またもや ずしーーん と心に残ります。
一回一回の勝負を、何百年という長い年月を見据えながら取り組むなんて、、
私にとっては気が遠~のいてしまいそうです。
でもこういった感じ方って、
自然環境への取組みや、いろんなことに通じる大切な考え方ですよねっ。
何百年と連綿と続く酒造りの伝統にとってみれば、
1人の人間の人生が関わるのはその一部だけ、
でも、その酒造りに関わる人の「繋がり」の中にこそ、
伝統が息づくということを感じさせます。
一回一回の酒造りが、その「繋がり」をつないでいるんですね。
~手で洗う シンプル&ダイレクト~
さて、日本酒の6~7割は水だから、良質の水は酒造の生命線。
青島酒造の水は大井川水系南アルプス伏流水を使用していて、
酒造りにおいては発酵が穏やかに起こり、酸味が出るという特徴があるそうです。
この良質の水をふんだんに使って酒造りが行われるんですが・・
冬から始まる酒造期間中、毎日!このお水を使って「お米を洗う」工程が行われるそうです。
「洗米」と言い、字のごとく、表面の糠(ぬか)などが洗い流される工程ですが、
この肯定が実はとっっっても大切!!で、河村傳兵衛さんは一貫して
「酒造りは洗いに始まり、洗いに終わる」
と主張していたそうです。
あらゆる工程の中でも洗米は、過酷な作業だといわれているそうですが、
最近では技術が進化し、米を傷めない洗米機が使われることもあるとか。
しかし、青島酒造では、寒~い!!この季節に手でお米を洗います。
しかも「素手」で!!
せめて手袋でもしないと大変なことになるのではと思うのですが・・
機械での洗米だとお米が傷ついたり割れたりしてしまうし、
お米も毎年出来栄えが違うので、今年のお米の状態を指ざわりや感触で確認しているそうです。
それがその後の工程にも関わってくるので、とても大切と。。
そのおかげで、青島さんの手はあかぎれ!でいっぱいになります。
3カ月毎日やるなんて、手が麻痺してしまいそうだけど、、
その手でお米の感触をしっっっかり確かめているんですね。
~麹室(こうじむろ)という空間~
次は、麹作り。
ここで酒造りの工程をご紹介しておきましょう! ↓
(藤枝市広報 平成13年1月5日号参考)
なるほど、大体の流れがわかりましたでしょうか。
(切り貼りですみませんが。)
「麹作り」は、洗米→浸漬→蒸米 の次の段階です。
それは、醪(もろみ)を作る工程の第一歩でもあり、
麹菌を使って2~3日で蒸し米を麹に仕上げます。
この作業を行う「麹室」は大切な場所で、
酒造りの期間中は、1時間単位に作業を区切って1日に6~7回は麹室に入るといいます。
・・ということは・・・
1日8時間だとして、3カ月(90日)で 8×90=720時間。
それを15年続けたとすると、既に10,800時間=約450日分の時間を麹室で過ごしていることになるんですね!
うーん、ここでどれだけの人が緊張感のある作業をしてきたのだろう・・・
分厚い樹の板の扉、
その先の空間は、
微妙な温度と湿度の調整、細心の注意で管理されている空間。
白い布と白いお米の清浄感、、
空気から伝わってくる緊張の糸がそこに張り巡らされているような気がしました。
~発酵~
そして、お次は発酵!!
・・・これが、スゴイです。
発酵の様子を見て、こんーーーーなに感動すると思わなかったです。
うまく説明できないですけども
おおーきなタンクに入った、「白い生物」を見ているような・・・
目に見えない微生物の声を聞いているような・・・
不思議な感じです。
「神秘的」です。
微生物ってすごいなーーと実感しました。
発酵し始めのところは、気泡も大きく、活発です。
ぶくぶくっ ぼふっ ぷくーーっ ぼふっ
と元気に動いています。
そして、発酵が進んでいるところに移るにつれ、
落ち着いてきて、決め細やか。
成熟した大人の感じで、
ひそひそ ぷちっ ぷくぷくぷく ふわふわ
「バナナのような香りがしませんか?」
あっ、本当です、確かにこれは甘~~いバナナの香り。
美味しそうです。フルーティです。
その動きと香りに吸い込まれて、タンクの中にふいーっと落ちてしまいそうでした。
うーんなんとも面白い体験をさせてもらいました!!
青島酒造では、通常、酒造見学は行っていませんが、
見学できる酒造では、ぜひこの発酵の神秘を感じていただきたいですね。
この後も酒造で使う道具など、マニアックな質問にも青島専務、丁寧に教えてくれました!
本当にありがとうございます!
~循環~
今では農業でも、ものづくりの世界でも、「直売」というものが重視されていますが、
青島酒造は店舗販売などの直売を行っていません。
無駄を省き、酒造りに専念するために、直接販売は行わないという方針。
そうすることで取り扱い先に喜久酔の販売を任せることができ、そこに「信用」のある取引ができます。
飲食店に直接卸すこともしないのは、取扱店を大切にしたいという思いから。
関わることで酒造りに専念できるし、それによって関わる人との信頼関係を築くことができる。
関わる人がwin-winの関係を築くことが大切。というワケです。
量産ではなく、品質によってその存在感を示す。
それは、本当に造り出すものの品質に自信をもって、世に送り出しているからこそ!
できるのかもしれないですね。
~酒造りをとりまく人々~
五感をフルに使って行う仕事のために、五感センサーを鍛える、何か特別なことをしているのでしょうか?
という質問をしてみたところ、、
食事は結構、玄米菜食気味ではあるそうですが
一年の半分を酒造り、半分を農業をすれば十分に自分の感覚がシャープでいられると答えていただきました。
そうです、ご存知の方も多いと思いますが、
青島酒造さんでは「酒造りは米作りから」という信念のもとに地元の稲作農家と共に、
稲作に取り組んでいます。
青島さんが一緒に米作りを行っているのが、
地元で酒造の好適米である山田錦を栽培している稲作農家の松下明弘さん。
松下さんといえば、新品種「カミアカリ」を発見し、農林水産省への登録を果たした稲作農家さん。
本来の生命力を発揮した有機農業のお米づくりを実践する一方、
実験的にさまざまな品種のお米づくりにも取組んでいます。
取材でお会いした際には、稲を見つめる眼差しや、嘘のない言葉がとても印象的でした。
青島さん曰く、
「酒というのは限りなく農業に近くにあること。
近くにありたいし、そして、決して農業というものから離れていたくない。」
青島さん自身も田んぼで稲の育つ様子や、毎年の出来具合を確認しながら共に山田錦を育て、
一方で、松下さんも青島酒造の酒造りに参加しているそうです。
~和~
さまざまな人が関わる酒造りをとりまく環境、
その中でもとりわけ大切なのは酒造りを行うメンバー間の関係。
実は、青島酒造の蔵人のメンバーの出身地はさまざまで、
喜久酔のお酒を飲んで門をたたく覚悟をした人もいるというほど。
出荷されたお酒が、人を引き寄せたんですね。
「和醸良酒」 わじょうりょうしゅ
という言葉は酒造りの現場ではよく言われる言葉だそうですが、
私ははじめて耳にしました。
これは酒造りに関わる蔵人達にとって、“モットー”ともなる言葉でもあるそうです。
人の和・調和。
「つくられるもの」は「つくっている人」の心で決まる。
そしてそれは説明できるものではなく、自分自身の感覚で「感じるもの」
なるほど、納得。真理をついた言葉ですね。。
青島さんの酒造りのお話しは、
酒造りに直面しているからこその「厳しさ」と
自分の感覚やフルに活用することの「喜び」と
そしてそれに関わることでできる「信頼関係」
その喜びをジワジワと感じるものでした。
「この仕事は自分じゃなくても出来る仕事だ」
と、経済の中心ともいえるNYの勤務、時代の最先端からダウンシフトして15年。
今は感性にを頼りに、もっと精密な機能をもつ自然の変化とともに、ひたすらに酒造りに取り組む。
青島さんは 確実に今も「最先端」を生きていると実感しました。
本当に忙しい最中、取材対応くださった青島専務、青島酒造のみなさま、ありがとうございました!
Posted by MAITOM at 22:00
│酒蔵 ~Sake~